孟宗竹はいつ日本に来た?|伝来の諸説まとめ

孟宗竹について

日本の竹林を象徴する孟宗竹。実は いつ日本に来たかは諸説あり、まだ確定していません。本記事では海印寺説・薩摩説など主要な説を整理し、近年のミトコンドリア解析の知見も合わせてご紹介します。

原産地と日本伝来の主要2説

孟宗竹の原産地は、中国の江南地方です。日本への伝来時期については、大きく2つの有力説があります。

【海印寺説】平安時代初期

京都府長岡町海印寺村 寂照院の開祖 道雄 が、唐から持ち帰ったとされる説(810〜823年)。

もしこの説が正しいなら、孟宗竹は1200年以上前から日本にあったことになります。

【有力説】江戸中期 1736年

薩摩藩の 島津家 が、琉球より移植してから全国に広がったとされる説。

有力説の詳細はこうです。野村良昌という人物が琉球滞在中に孟宗竹の輸入を命じられ、清から20株を輸入し 仙厳園(鹿児島・島津家別邸)に献上しました。

琉球には大正15年まで孟宗竹がなかったとみられています。当時鎖国によって貿易制限があったため、琉球を経由したのかもしれません。

その他の説

  • 1600年:浅野長政が朝鮮から持ち帰り、名古屋郊外に植える
  • 1654年:京都府宇治市・隠元隆琦禅師が黄檗宗萬福寺に母竹を携行

福岡県八女市には1615年に導入されたとの伝承もあり、また1590年に画家・狩野永徳が孟宗竹を描いていたとされる記録もあります。

つまり 薩摩伝来(1736年)よりも前から、すでに日本のどこかに孟宗竹があった可能性 が高いのです。

分析が示す「複数回の伝来」

ミトコンドリア解析の知見
解析結果からは、孟宗竹は 何回かに渡って広大な中国各地から移入された と推測されています。徳島の竹も同一ではないようです。

この事実は、伝承や文献の記録と一致します。孟宗竹は一度ではなく、観賞用・実用などさまざまな目的で何度も日本に渡ってきたと考えられます。

日本各地に広まった記録

  • 【尾鷲市】三重県・土井竹林は1750年頃に薩摩から持ち帰られた
  • 【江戸】宝歴年間(1751〜1764)、鉢植えにして将軍家に献上
  • 【金沢】1766年に持ち帰られ、安永年間(1772〜1780)に大きく広がった
  • 【目黒】寛政元年(1789)5月に薩摩から直接 目黒へ持ち帰られた → 目黒式たけのこ栽培 の起源
  • 【徳島県阿南市】1806年、福井村の岩浅勝太氏が江戸からの帰りに伊勢で購入し花壇に栽植

考察:仏教と孟宗竹のロマン

京都の孟宗竹は島津家伝来のものより余程古いようですが、確実な記録が見当たらないのが残念なところ。

記録から推察すると、薩摩藩がきっかけで日本全国に広がった のは間違いなさそうです。ただ、それ以前にも観賞用などで何度も持ち込まれていたのではないかと想像できます。

当時、里山は人々の生活に密着していたので、現代のように放置竹林になって山を侵食するようなことはなかったでしょう。

仏教との深いつながり
孟宗竹は僧侶が移植したという言い伝えが数多く残されています。海印寺の道雄、萬福寺の隠元禅師…仏教との深い関係を感じる伝来史です。
ロマンですね~!

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