江戸時代
1806(文化3)年 福井村の岩浅勝太氏 江戸からの帰りに伊勢で購入し花壇に 裁植する
1822(文政5)年 和食村 から 桑野の南谷傍示 に入り 孟宗筍栽培 が始まる
明治
1868(明治初)年 櫛淵村 の 岡本梁蔵漢学塾 の庭に県南の門弟が 孟宗を裁植 する
1902(明治35)年 新野村で 筍共同販売組合 を設立 立江村櫛淵 や 小松島村田野 で山林を開墾して孟宗を植栽する。
1905(明治38)年 福井村で 日露戦争の軍需品 として筍缶詰の製造開始
1909(明治42)年 福井村で栽培面積60ha 30年頃から 開園新植を奨励
1910頃(明治末)年 鷲敷町では中山で栽培されている
大正
1912(大正元)年 新野村で栽培面積59ha
1916(大正5)年 福井村で 阪神方面 へ 出荷組合を設け販路開拓
1921(大正10)年 立江町櫛淵で10貫の叺に入れ バナナ篭に詰め 大八車で赤石まで運び 機帆船で阪神へ出荷
1925(大正14)年 鷲敷町中山で 出荷組合 により阪神などへ筍6t出荷
昭和
1928(昭和3)年 福井村で195ha栽培(20年間で約3倍)
1929(昭和4)年 立江町で40ha 小松島町で12haの栽培 櫛淵出荷組合 が筍缶詰を生産販売開始
1939(昭和14)年 福井村に 愛媛の日産食糧(株) の工場ができる
1942(昭和17)年 筍も統制命令で 那賀郡出荷統制組合 の扱い(24年まで)
1947(昭和22)年 施肥している孟宗畑は 農地改革 の対象となる
1951(昭和26)年 小谷利明(新野高校教諭)が 電熱利用 による早掘り研究を開始
1952(昭和27)年 新野町で栽培面積180ha(40年間で約3倍) 新野筍缶詰が 全国農村工業・副業品展示会 で 農林大臣賞
1953(昭和28)年 小松島市で栽培面積67ha
1955(昭和30)年 筍栽培指導所起工式
1958(昭和33)年 2月から 県物産東京斡旋所 が 青果物の斡旋を開始 〔京浜での筍販売は32年の1tが34年には281tになる 筍缶詰も徳販連の進出がめざましく36~38年には京浜東北で 7~8万缶(1,300~1,500t)に達する〕
1960(昭和35)年 徳販連が ボイルタケノコ を販売
1965(昭和40)年 2月に徳販連の事業を 徳島県青果農協連 に吸収
1970(昭和45)年 徳島市で 第11回 全国竹の大会 を開催
1975(昭和50)年 構造改善事業 でタケノコ園にモノレールの設置が進む
1985(昭和60)年 徳島で タケノコ缶詰全国大会 を開催。
平成
1989(平成元)年 青果連と経済連が6月に合併
1991(平成3)年 阿南市で第32回 全国竹の大会 を開催
1997(平成9)年 新野 ・福井町・椿3農協が9年4月に阿南市農協に合併
2001(平成13)年 試験研究機関の再編 農林水産総合技術センター農業研究所となり、県南暖地担当阿南市駐在に改称
2005(平成17)年 農業研究所 における筍の経常研究は3月31日で終了 阿南市駐在を廃止
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